たった一人で!
「たった一人で海を渡った男」と書けば、日本人で初めてメジャーリーグに挑戦
したようなイメージをもたれるかと思いますが、今日紹介するのは、黒森小学校を
卒業して「たった一人で大阪に行った女性」のお話です。 だれ、だれ?
彼女は、酒井春香さんです。
小学6年生の時に卓球で全国チャンピオンになり、中学は大阪の羽曳丘中、
高校は四天王寺高校と、卓球では名門と言われるところで活躍されました。
現在は、ミキハウスに所属。ワールドツアーにも参戦中で忙しい日々を
送ってると聞いてます。
※「酒井春香」で検索すると動画も含めいっぱい見れますよ(^^)
毎年、その合間を縫って黒森の実家に帰省されるのですが、こちらから無理を
言って、地元のスポ少や酒田四中の卓球部に指導する時間を作っていただいて
ました。昨年は酒東高にお邪魔して地元の高校生にも指導していただきました。
毎回、練習前に簡単に春香選手を紹介するのですが、中学からこっちにいなかった
せいか、知らない人が多いのにはびっくりです。しょうがないか…。
石川佳純選手といっしょに全国制覇したとか言うと、はじめて「すげえ!」なんて
いう言葉が出てくるのでした。これもしょうがないか…。
地元出身で、世界レベルで活躍されてる先輩がいるんだという事を知って
ほしいですね。
五日前、春香選手に連絡したところ「今年も帰りますよ」という返事でした。
今年も時間がとれて教室開催が可能だったら、どういったことをしようかと
考えてるうちに、無性に春香選手のことを紹介したくなりました。
彼女が高校三年のインターハイ。大本命といわれながら、結果は準優勝。
主将も務めてましたから、優勝できなかった責任を たった一人で背負って
しまったんじゃないかと思います。
そのあとで「卓球王国」という専門誌の最終ページに編集後記として載った記事が
ありました。彼女の人柄の一端を書いてるような、とても印象的な内容でした。
今日は、「卓球王国 2009年の11月号」のコピペで、彼女を紹介します。
■ 勝者だけが英雄とは限らない
今夏、ひとりの選手に目がとまった。
名門・四天王寺高校主将・酒井春香選手。彼女はインターハイ団体戦決勝のラストに出場して敗れた。 酒井は全日本ホープス、カデットのチャンピオンというキャリアの持ち主。 ふだんは全日本チャンピオン平野早矢香の所属するミキハウスで練習に励んでいて、一学年下には石川佳純がいる。
試合会場では少しおとなしめ。もちろん、このことは試合とは関係ないかもしれないが、彼女の試合内容にも派手さは見られない。それは幼い時から彼女がずっと通してきた戦い方だ。 試合中に見せるガッツポーズにしても控えめで、見事なカウンターが相手コートに決まっても、相手に申し訳なさそうな顔をする。自らを鼓舞するために大声を張り上げる選手は多いが、彼女は決してしない。
大嶋雅盛監督は彼女のことを「周りに気を遣いすぎる子なんです」と評する。 酒井は、石川らと比較しても十分に肩を並べられる実力を秘めている。しかし…、と思うのはなぜか。 それは酒井に潜む悲劇性なのかもしれない。
インターハイで青森山田との決勝の下馬評は断然、四天王寺が有利だった。オーダーが発表された時、外野は3対0で四天といきり立った。 トップでエース石川が森薗をストレートで一蹴。二番手の大森も簡単に1ゲームを奪った。青森山田の丹羽はカット打ちが不得手と言われていた。しかし2ゲーム目から戦法を変えた丹羽がゲームオールの末、苦手のカットを打ち砕いた。逆転で丹羽が勝利した時、大岡巌・青森山田高監督は「いける(勝てる)かもしれない」と思ったという。 その後、石川・酒井のダブルスが森薗・松澤組を破り、 4番高橋は青森山田主将の松澤に屈し、いよいよラスト酒井対中国人留学生・秦誌 の対戦となった。
酒井は第1ゲームをわずか3本で奪われ、もはやこれまでかと思われたが、第2、3ゲームを連取。第4ゲームは秦の距離で戦われゲームオールとなり、8対10とマッチポイントを取られた。そこから頑張ってジュースに持ち込むが11対13で惜しくも敗れた。沸き上がる相手ベンチを背に、酒井は仲間に「ごめんね」と頭を下げた。そして酒井は二日後のシングルス準々決勝でも2ゲーム先取したものの、ゲームオールの末、岡崎(武蔵野)に屈した。ベンチに帰ってきた酒井はベンチコーチの高橋に「どうもありがとうございました」と少しだけ笑顔を見せた。その瞬間、名門・四天王寺主将としての夏は終わった。
酒井の卓球に派手さはないが、なぜか惹かれる。それは彼女に漂うひたむきな逞しさなのかもしれない。監督が評したように、周りに気を遣いすぎるほどの人間性が勝負の一本を奪えない原因かもしれない。しかし酒井には敗者につきまとう暗さはない。いやそれ以上に、周りに与える爽やかさがあるような気がする。
おかげさまで、小誌も今号で150号を数える。これから先も、どんな困難にも打ち勝つ逞しさで、雑誌作りに励んでいきたい。 (発行人 高橋和幸)
引用先:http://www.paco-kaz.com/afterword/afterword-09.html
この記事を読んで、おっちゃんはウルウルした記憶があります。
春香さん本人のことを思ってというよりも、これだけ成長した娘をどれだけ
見たかっただろうと、亡き親父を思ってのことです。
父親はおっちゃんと同級生ですが、春香さんが小学6年生で全国チャンピオンに
なって間もなく不慮の事故で無くなりました。
昨年13回忌と聞きましたから、まだ30代後半でのことだったんですね。
もし親父が生きてればと思うと…無念というしかありません。
しんみりさせてしまいました。
話戻ります。
酒井春香さんは今でもバリバリの現役選手です。練習においてもコーチからの
指導を受けてるほうがほとんどでしょうが、黒森に帰ってくると、立場逆転で
今度は教える側にまわります。
教えるほうがどれだけ大変かということも感じてるだろうし、教えた技術で、
選手が上手になりそして喜んでくれる。その笑顔が何倍にもなって自分の喜びに
なるという事も彼女は知ってるはずです。
未来の春香じゃないけど、子供たちには憧れの存在でいてほしいですし、
春香本人にも、情熱を持ち続けて、長く卓球をやってほしいですね。
おっちゃんは50歳を過ぎても、野球バカです。いつも頭の半分は野球ネタだろうと
言われます。
卓球バカとは、あまり聞いたことがありませんが、たった一人で も、そういう人が
いてもいいかもしれませんね。
今度、お酌させていただきます…。
一昨年、昨年の教室の新聞記事もどうぞ
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