不毛地帯に!
昭和60年、M-Club.は生まれました。
おっちゃんが高3の時、社会人でも硬式野球をやりたくて、秋田にある企業の
セレクションまで受けたものの不採用。
地元就職し、母校のOBクラブで軟式野球をしていました。
そんな頃、チームの先輩から「実はこれから社会人の硬式チームを作るんだけど、
どうだ、おまえもいっしょにやらないか?」という話がありました。
おっちゃんが20歳の時です。
「やりたいです!」即答でしたね。
当時は山形相互銀行(現きらやか銀行の前身)くらいしか聞いたことがなく、
また、セレクションを落ちた時点で、もう硬式野球は二度とできないんだろうと
あきらめていましたから、まじ嬉しかったですね。
喜びましたよ。ワクワクでしたね。
聞くと、実は山形県にはクラブチームはいくつか存在してて、そこに新規で加入
するんだということなのでした。本人は硬式野球ができるだけで十分でしたから、
企業だとかクラブだとかは何も関係なかったですね。
新しいチームにはスポンサーというかオーナーがいて、その方が三川町の方だと
いうので「三川クラブ」というチーム名がつけられたと聞いています。
「三川クラブ」≒「M-Club」ということです。途中で新調したユニフォームにも
「M-Club.」と刺繍されてます。
話は三年前に戻りますが、きらり川南スポーツクラブが設立準備委員会として
活動を開始したとき、合意を必要とする体育振興会で川南地区を束ねてる方からは
「色々と事業をして実績を作る事」というのが、準備委員会を認めてもらえる
条件でした。
おっちゃんがすぐ取り掛かれる事業といっても、野球しかないので、軟式は
部活動と同じだし、新しいことをするなら硬式のほうがいいだろうという判断で、
「本人の成長にあった指導」をモットーに「M-Club.」という中学生の硬式野球
練習会を始めたのでした。
最初は「クラッシュクラブ」とか、普通に「硬式野球練習会」とか考えたの
ですが、先輩からも「M-Club.」を使用する同意もいただき、結果、今の名前に
なりました。
最終的に「M-Club.」という名前にした本当の理由は、もう一度地元に硬式野球
チームを作りたいという願いからです。
総合型クラブの中で社会人硬式チームを作り、地元の野球レベルをあげるための
協力をしたり、当然、ジュニア達の指導であったり、野球以外のクラブ事業で
色々な企画をしたり、そういったチームになれればというのが夢です。
今は鶴岡、新庄、天童にクラブチームがあるくらいでしょうか?
確かに少子化や野球人口の減少はひしひしと感じます。
今、練習に参加されてる中学生が今後どうなるかまではわかりませんが、
でも、高校を卒業して地元に残る子や大学を卒業して故郷で就職する子や、例えば
勤務は山形に単身赴任だけど週末の練習や試合には必ず参加してくれる子など、
幅広い年齢層の「野球バカ」やその上をいく「野球アホ」達が集まれば、20人
くらいは集まりそうな気がします。
おっちゃんは、50を過ぎたけど、ファーストくらいは守れるかな?
今でも打席に立ってプレイしたいと真面目に思ってますよ。
話変わりますが、この街は、物事が消えるほうを多く感じます。
店なんかもそうですね。
消えてしまえば普及も浸透も波及も成長も何も無いですからね。
前は普通に存在してたものがいつの間にか無くなった。
チェーン店はよくある話ですね。
誰かがもう一度種を蒔かなかったら二度と生まれない。生まれないんだから
伸びてくるわけがない。これではだめでしょう。
ヤフーで不毛と無毛との違いを調べましたが、不毛は「生えない、育たない」と
いう意味でした。
「生やせばいいじゃないか」「育てればいいじゃないか」
もともとは、生え育つ土壌がそこにあったわけですから。
この記事へのコメントはこちら